ワクワク好奇心研究室 Vol.22 

お知らせ

    鈴木順子先生 創造的リベラルアーツセンター副センター長

    先生はフランスの思想家・哲学者シモーヌ・ヴェイユに魅せられたとのことですが、彼女について教えてください。

    ― シモーヌ・ヴェイユ(1909-1943)は、フランス人ならほぼ必ず高校の哲学の授業で学ぶ思想家の一人です。日本とは異なり、フランスの高校では全員哲学が必修なのですが、そこでは、ソクラテスやカントなど、古今東西の大哲学者を含む80人くらいが、学ぶべき思想家としてリストアップされています。その中に女性哲学者は7名入っており、シモーヌ・ヴェイユはその一人です。

    先生の単著(2010年第5回河上肇賞本賞受賞)
    先生の近刊著書
    (2023年刊、中部大学出版助成による)

    シモーヌ・ヴェイユはどのような人物なのですか?

    ― 人間や社会に対する洞察が鋭くて深く、また宗教的な直感にも優れている哲学者です。人間の奥深い部分についてと超越的な存在について、この二つの思索が行ったり来たりするところがダイナミックでたまらない魅力だと思っています。一般的には哲学者というと書斎の人という感じがしますが、彼女は生涯を通じて、当時の社会の恵まれない人々のための活動に積極的に携わっていました。

    ドイツ占領下のパリからマルセイユに避難した頃のヴェイユ(1941)

    第二次大戦中レジスタンスに参加した際のヴェイユの身分証明書(1943)

    どのようなことをしたのですか?

    ― 工場労働者のために組合活動をしたり、フランスに何も持たないでやってきた難民のために手紙を送って励ましたり援助物資を送ったりなど、大変心を打たれるものがあります。また、第二次大戦におけるレジスタンス活動にも危険をかえりみず参加しました。私が惹かれるのは、こうした彼女の決断力、行動力、そして社会正義のための熱い想いです。

    シモーヌ・ヴェイユは、日本とも関係が深いと伺いました

    ― 禅の思想家である鈴木大拙が、英語で日本の禅仏教を紹介する書籍を書いていますが、その著作が1930年代頃フランスで話題になった時、いち早くシモーヌ・ヴェイユはそれを読み、大変感銘を受けていました。ノートに丁寧に写したり、内容について高く評価するコメントを残したりしています。そして鈴木大拙の方も、ヴェイユに対して、彼女の思想には独自性があって素晴らしいと、大いに敬意を払っていました。お互いにリスペクトしあった点が興味深いですね。

    鈴木大拙(1870-1966)
    大拙がヴェイユに言及している本
    ヴェイユが鈴木大拙について研究した
    記録が残るノート

    先生はフランスへも留学をされて、フランスのポワティエ大学人文科学部の博士前期課程を修了し哲学史D E A(博士論文提出資格)も取られているのですが、フランス人と一緒に勉強をされて、哲学の位置づけがやはり日本とは違うという印象はありますか?

    ― 確かにフランスと日本では、哲学に対する一般の方のとらえかたは違うと感じました。最初にも申し上げましたが、フランスでは哲学の授業は高校で必修となっており、さらにバカロレア(高校卒業資格並びに大学入学資格を取得するための全国共通試験)でも、哲学は全員が受験すべき科目になっています。そのような点から見ても、哲学を学ぶということが一般教養としてとても大切だという認識を、社会全体が持っていることはわかると思います。もちろん、フランス人全員が哲学好きということではありませんが、街の中に行きますと、「哲学カフェ」があったりして、人々が身近に哲学を感じていることが伝わります。私も訪れたことがありますが、コーヒー片手にとても楽しそうに哲学のこと、哲学者のことを語ったり、自分の考えを語ったり、いま社会で問題になっていることを語ったりしていたことがとても印象に残っています。実は、フランスの保育園の中には、哲学教育を行っているところがあります。可愛い子供たちが一生懸命自分の意見を言っているその様子は、見ていて本当に素晴らしいと思いました。

    フランスの哲学カフェ(ネットより)

    保育園の年齢の子どもたちが学ぶ哲学ってどのようなものでしょうか?

    ― 最初は幼くつたない言葉だったのが、先生が少しヒントを出したり、お互いやり取りしたりする中で、次第に自分の意見が友達に伝わるように言えるようになっていくのですね。例えば「愛ってなに?」というようなテーマでそのような対話を行うのです。様子を収めたドキュメンタリー映画もあります。

    ドキュメンタリー映画
    映画の中の一場面

    「哲学」というのは日本人にとっては難しい響きがあるのですが、先生は授業の中でも難しくないように色々な仕組みを考えていらっしゃるようですね。

    ― 確かに学生の中には、哲学は難解で自分とは縁遠いと感じている人も多いと思います。しかし、哲学は英語でphilosophy(フィロソフィ)、philo(フィロ)は「愛する」、sophy(ソフィ)は知恵の「知」です。つまり「知を愛する」ということで、哲学とは「愛知」学なのですね(愛知県の「愛知」と偶然一緒ですね)。ですから、私の授業では、知ることが楽しい、考えることは楽しいという、哲学本来のあり方が伝わるような内容にしたいと思い、そのため、テーマは、私と学生さんが共に興味を持てること、例えばファッション、食、身体、友情、恋愛などを選んでいます。そして、どのように哲学史ではそれを扱ってきたか、また学生さんは今それらについてどう考えているかを問うようにしています。知恵が増えることを楽しみつつ、自分で考えそれを表現できるようになる授業を心がけています。

    創造的リベラルアーツの副センター長でいらっしゃいますが、21世紀的リベラルアーツの定義を教えてください。

    ― 21世紀になって正解のない問題に向き合う時代になったと多くの人が感じていると思います。新型感染症や地球環境の問題、格差や戦争の問題など、新しい発想で対処しなければ、簡単には答えの出ない問題が多い時代に私たちは生きているといえるのではないでしょうか。そのような新しく複雑な課題に取り組んでいける人間を育てるためには、基本的知識や専門的能力を身につけた上で、それらを社会において積極的に活用できる「人間力」を養成する必要があると考えています。21世紀的リベラルアーツ教育は、私たちが無意識のうちにとらわれているさまざまな限界から自分を解放し、「自由であるための技法」を養う教育です。

     例えば、受け身で知識を得るだけではなく自発的に考えられる人間を育てることや、専門に閉じこもらずに自分を客観的に見る力を育成すること、自分とは異なる背景を持ち、自分とは違う考えを持つ人たちと共存し協力していくコミュニケーション力、広い視野で問題をとらえ、さまざまな専門分野の人々と一緒に新しい問題に対処できる力など、このような人間力と自由であるための技を養う教育が、21世紀的リベラルアーツ教育です。

    中世リベラルアーツ(自由七科)
    21世紀的リベラルアーツ教育の特徴

    2021年度からリベラルアーツの模擬授業が行われてきましたね。

    ― 「リベラルアーツ課題演習」という授業が、2024年から正式開講となるのですが、その準備として、3年間パイロット授業を行なってきました。教員が二人一組で授業を行い、見学の先生にも多数来ていただいて、どれも活気のある授業になりました。リベラルアーツ授業の学びの主体は常に学生であること、調査・発表・討論を通じて思考を深め、自らコミュニケーション力を伸ばしてゆくことを目標にしてきています。教員も、学生と一緒に討論する時間をとても楽しんでいるところです。

    例えばどのようなテーマを扱った授業に学生は敏感に反応するのでしょうか。

    ― 印象に残っている授業の一つに、「人間と社会」という枠組みの中で、安楽死を取り上げた時のことがあります。「安楽死を認めるべきか」というテーマで討論をしました。

    そのクラスには、高齢の家族を長い間介護した経験がある学生が何人かいたのですが、その人々の間で、なんと真二つに意見が別れたのです。安楽死を認めるべきだという人と、安楽死は認めるべきではなく、最後まで介護を続け看取るべきだと意見が分かれました。それをみて、同じような体験をしている人でも、人によって全く違う考えを持つことがあるのだということに皆が気づいたようでした。さらにそれを踏まえて、「自分はこちらの意見だが、そう考えた理由は何だろう?」とか、「あの人はこんな意見を持っている、それはなぜだろう?」と自分を客観視したり、相手の立場に立って考えたりしていました。最終的には、無理に勝ち負けを決めるわけではなく、社会においてと同じように、お互いに納得し合意できる点を見つけることができました。皆が興味を持って一所懸命に学び、考え、積極的に話していたので、大変印象に残る授業になっています。

    これまでの大学の授業、特に教養の授業は、先生が専門知識を伝え、それを学生が聞くという形態が主流だったと思いますが、これからは、答えのない問いを扱う授業、その答えは自分たちで論理的に考えて見出していくという授業も増えていくのではないでしょうか。そして、もし他人が違う意見を持っていたら丁寧に説明をしたり、その人ともどこか折り合える部分がないか見出したりしていく、このような実践を行う授業が大切になってくることでしょう。そうした授業を行うことこそ、21世紀的リベラルアーツの教育においては重要だと思っています。

    リベラルアーツ授業におけるグループディスカッションの様子
    21世紀的知のイメージと授業の流れ

    昔、一般教養と言われたものがリベラルアーツだったと思うのですが、今後、21世紀的リベラルアーツを学ぶことでどのようなことが得られるようになりますか?

    ― これまでの一般教養の授業は、専門馬鹿にならないように、色々な科目を勉強し知識を増やすことが主眼とされてきました。21世紀のリベラルアーツ教育は、知識の習得も大事にしつつ、それに加えて、能動的に自分で考える人間を育てることを目指しています。多様性が広がる社会において、視野の広さを確保しつつ、どう他人を理解し、折り合っていくか、そこでは、コミュニケーション力を含む総合的な人間力が問われます。また、正解がない問題でも勇気を持って立ち向かう力は今後ますます大事になってくるでしょう。21世紀的リベラルアーツの授業では、それらの総合的な人間力が身につくよう目指しています。

    リベラルという言葉は、自由と関係がある言葉ですが、「限界を打ち破る」という意味があります。アーツは芸術とも関係していますが、「技術」という意味がもともとありますので、リベラルアーツは、自分の限界を打ち破り新しい時代、社会を作るために踏み出す力ということになります。そうした力が身につくのが、21世紀的リベラルアーツの授業です。

    自由であるための技法

    リベラルアーツ=4つの「限界」からの解放

    ①「知識の限界」からの解放
    ②「経験の限界」からの解放
    ③「思考の限界」からの解放
    ④「視野の限界」からの解放


    素敵ですね~!先生にはリベラルアーツを意識して普段から行なっていることって何かありますか?

    ― 自分の限界を打ち破るという意味で、例えば本屋に行った時には、自分の専門や自分の好きな分野の本が並ぶ書棚とは異なる書棚もできるだけ回るようにしています。理系が不得意なのですが、立ち止まってA Iの本を読んでみるとか、自然の図鑑を手にとって見るとか、些細なことですがそんなふうに気をつけています。

    普段の生活の中にリベラルアーツがたくさんあるということですね。

    ― 若い方だけではなく、何歳になっても自分を新しくするという挑戦はできると思っています。

    インタビュアー感想:
    ”リベラルアーツ”は出身大学の英名に入っており懐かしさを感じておりました。当時も今も先生からお話を伺うまでそのような深い意味が存在していることを知らずに生きてきたことに恥ずかしさを覚えます。21世紀に生きる力=限界を打ち破ること!コンフォートゾーンから抜け出して勇ましく賢い生き方を学べる絶好のチャンスを学べる学生が羨ましいです。

    鈴木 順子
    創造的リベラルアーツセンター副センター長 教授
    専門分野:フランス哲学・思想、フランス地域文化

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