泥鰌(どじょう)的手法

お知らせ

    現代教育学部児童教育学科
    准教授 髙木 徹

    以前に旧カリキュラムの教養教育科目を担当していたときは、自由席で授業を行っていた。教室の後方にいる学生から順にあて、ワイヤレス・マイクで答えさせる、というやり方をしていたので、教室の真ん中あたりから席が埋まったものだ。まれにそういうルールを知らない学生が現れて最後列に着席すると、他の学生たちは一瞬ニヤリとする。授業の冒頭から激しい攻撃にさらされる彼の過酷な運命に思いをはせるからだ。

    現在担当する専門科目では、全て学籍番号順の指定席である(もちろん前方の座席を希望する学生には配慮している)。大学で指定席とはいかがなものか、と思わないでもないが、出席確認の不正はできないし、私語も発生しにくい、100人の講義でも学生を指名できるなど、いいことずくめである。何よりも、毎回のように小テストなどを行う私にとって、答案を番号順に並べ直す手間を省けるのが大きい。

    学生の遅刻も、なくそうと思えば簡単である。1・2時限に開講している2年次の科目では、毎朝小テスト(全12回)から始まり、9時40分にテストは終了する。多くの学生は遅刻しないし、一握りの学生はテストに間に合わないと分かった時点で諦めるようだ。

    遅刻と言えば、1年生を教えていて最近気になることがある。遅刻者がことごとく「遅刻しました」と言うのである。「他に言うことはないの?」と聞くと、「すいません(すみません、ではない)」と謝る。「他に?」と聞くと、ポカンとしている。仕方なく「理由は?」と尋ねると、ようやく「寝坊しました」と答えるのだ。これだけでも相当しつこい方だと思うが、これで終わらない。もう一度最初から言い直させるのである。

    「分かんないです」と答える学生には、もう一度「分かりません」と言わせる。まことに手間のかかる話であるが、そのまま上の学年に進むのを座視するわけにもいかない。

    社会で通用する言語運用能力を身に付けさせるには、全教職員が、あらゆる場面を通して学生の日本語力を高めようとする意識を持ち、泥臭い一手間をかけることが必要である。「日本語スキル」はその一助に過ぎない。この場を借りて、皆様にお願いしておきたい。

    ANTENNA No.107 (2011年12月)掲載

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