国際関係学部国際学科
准教授 大澤 肇
私は大人数の講義科目であっても、毎回コメント・ペーパーを配布し、感想・質問を書くよう推奨している。授業終了後それを全て入力し、A3両面に入るように整理して印刷する。簡単な質問には回答を書き、口頭で答えた方がよい質問には口頭で答えるようにしている。なぜこのようにしているかといえば、日本の学生はシャイであり、授業中に質問を振っても答えてくれないという側面もあるが、私自身もシャイであり、アドリブが効いた回答はできないので、私自身のためというのが本音である。
感想から見て、私の解説が理解できていない学生が多いようであれば、次回に補足説明を行う。時には私自身の講義の間違いを指摘するコメントもあり、冷や汗をかきながら読み、次回に訂正することもある。さらには若干専門外のことについての質問もある。例えば韓国や台湾では今でも徴兵制を施行している、と授業で話すと「日本でも徴兵制を導入した方がよいと思いますか」といった質問が来ることもある。私は防衛政策の専門家ではないが、そういった質問にもできるだけ経緯やさまざまな意見を伝えるように務めている。時には回答を書くための調査に一日費やすこともある。負担であるが、勉強にもなる。授業では質問・コメントだけではなく、質問への回答についての資料も配布される。
今では大抵のことがネット検索で解答が出てくる時代になった。こういった時代で「講義」の意味とは何か。それは講義のインタラクティブ性、つまり学生と教員との交流によって授業そのものが展開していくことだと私は考えている。そういった意味で、私の授業の大半はコメント・ペーパーによって、作り上げられているともいえる。
とはいえ最近は質問に用意周到に準備をして答えるのも問題ではないかと思っている。前回の授業に関する質問についての回答が30~40分と長く、何よりも学生自身が考え、調べるという機会を奪っているのではないかという懸念があるのだ。新たな模索・挑戦をするべきかもしれない。
ANTENNA No.144 (2019年4月)掲載