現代教育学部幼児教育学科
准教授 わけびき 真澄
私が保育者養成に携わってから、いつの間にか15年が経った。思い返すと、学生時代の専攻は金属工芸という、およそ保育・幼児教育とは無関係だった人間がここまでやってこられたのは、周囲の方々のおかげと言える。
授業に関しても当初は随分とお粗末で、その頃の学生たちには本当に申し訳ないことをしたと猛省している。ただ、現場を意識し、「造形の教育」ではなく「造形による教育」を強く意識して取り組むことだけは、唯一当時からずっと変わらないことかもしれない。
保育者として子どもの表現を支えるのだから、造形の知識・技術以上に、個々それぞれが豊かな感性と創造性を持った人であってほしい、そんなことを考えて、私は授業の中で作る過程やものを極力限定しない。課題という、学びのねらいに則した最低限の条件を出し、後は学生が好きにすれば良いと考えている。このように言うと、大変楽をしているように聞こえるかもしれないが実はそうでもない。およそ45 人の学生がそれぞれ好き勝手にやるので、対応も個々全くバラバラで、授業中は結構な距離を歩く。実際授業のない時期、私は必ず2kg 体重が増える。材料も通常は学生が用意するが、個々のとっさのひらめきを無駄にしないためにも、できる限りのものを用意しておきたい。結果今では、造形室に無いものはないと学生が言うまでになった。そして何より、一人一人の作り出すものを認め、励ますということは、口で言うほど簡単なことではない。
実はこうした取り組みには、保育現場に出た学生が、子どもの主体性や可能性を奪うような、大人の概念で決められた手順で決まったものを作るような保育をしてほしくないと考え、一人の教育者としてその姿を見せたいという思いもある。保育・教育者養成は、学生たちの多くが自分と同じ仕事をする人になるという点で、ある意味高等教育機関の中で特殊だと思う。だからこそ、自分自身の授業づくりをサボることは許されないとも思う。
ANTENNA No.130 (2015年11月)掲載