文化人類学と笑い

お知らせ

    国際関係学部国際文化学科
    教授 中山 紀子

    先日、居酒屋で学生たちにトルコでの話をしていたときのことである。トルコ人は親日的で、そのおかげで私もさまざまな親切を受けたのであるが、一方で彼らのもつ日本人のイメージと私とのギャップを指摘されることが多かった。例えば「『日本人といえば朝早くから起きて勉強していると聞いていたのに、なんだおまえは、ノリコ。10時までぐうぐう寝て!』な~んて責められていたのよ~」という具合だった。そのとき、話を聞いていた学生も笑っ たが、横にいた関西生まれの先生も大笑いしている。「先生、笑いすぎよ!」 と怒ってもなお笑い続けていた。それを見て私は「さすが関西生まれは分かってる」と、言葉とは裏腹に、心中うれしく思っていた。


    前任校でのこと。同僚数人とちゃんこ鍋を食べに行き、座敷にあがったところ、自分の靴下に穴が空いているのに気がついた。一瞬、どうしようかと思ったが、次の瞬間には「あれ~、私の靴下に穴が空いてる~!」と大声で叫んでいた。ボケをかましたのである。ところが、関東出身者が多かった前任校ではボケに対してはツッこむという作法を分からない人だらけだった。このときも横浜出身の同僚に小声で「い いよ、いいよ、気にしなくて」とかわされてしまった。ええい、私の欲しいのはそんなおためごかしの同情ではない!大笑いされて「なんや中山さん、えらい貧乏やなあ。靴下ぐらい買わんかい」と罵倒されたり、「そんな穴なんて小さい小さい。私の穴はもっと大きいわ」とより挑発されたりという、そんなツッコミをこそ求めていたのだ。


    靴下の穴は隠そうと思えば隠せた。しかし、自分の欠点を隠すという恥ずかしい行為をするくらいなら、それを広げて笑いをとるのがいっそ清々しい。そして、こうしてボケているのだから的確にツッコミを入れてほしい。少なくとも笑って、こちらのボケにウケたことを表現してほしい。「笑われる」ことは悪いことではなく、むしろ名誉なのである。どこでどう笑い、どう振る舞うか。これは極めて文化人類学的な問題である。私の授業づくりの教育ポリシーにはこのことが踏襲されている(はずだ、おそらく)。

    ANTENNA No.114 (2013年2月)掲載

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